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【国内・著作権】Winny判決は妥当だった

 今回のWinny裁判の判決は色々な感慨を持ちました。有罪に腹を立てつつも予想通りの結果と感じたり、罰金だけの判決に違和感を感じたりしました。今回紹介する記事はその点について上手く説明していると感じます。

 ・Winny裁判、罰金刑は重いか?軽いか?--自己矛盾を抱えた判決(CNET Japan)

 すでに報じられているように、Winnyを開発・公開した元東大助手、金子勇被告が罰金150万円の有罪判決を受けた。この判決を、どう見るか。

 個人的にどう受け止めたのかを最初に言ってしまえば、私はこの判決はきわめて妥当なものだったと考えている。おそらく多くの人が異論を唱えられるだろうが、なぜ私がそう思ったのかを、以下述べてみたい。

 私は7月の論告求刑の際は、「大詰めWinny公判が突きつけたソフトウェアの明日」という記事で裁判の争点について書いた。繰り返しになるのを承知でもう一度説明しておけば、争点は2つあった。ひとつはWinnyというソフトそのものが著作権侵害を助長させるものであったのかどうかということ。つまりWinnyというのは社会にとって有用なソフトなのか、それとも犯罪のためだけに存在しているマルウェアだったのかということだ。もちろん検察側は後者と判断して公訴提起し、弁護側は前者であると主張した。

 第二の争点は、Winnyというソフトそのものではなく、このソフトを公開した開発者、金子被告の意志の問題である。検察側は、金子被告が供述調書をはじめ、2ちゃんねるダウンロード板やWinny配布サイト、姉や弁護士とのメールのやりとりなどさまざまなところで金子被告が「著作権などの従来の概念が既に崩れはじめている。最終的には崩れるだけで、どうせ戻れないのなら押してしまってもいいか」「逮捕というのはまずありえないだろう」「悪用できるようなソフトは特に宣伝しないでも簡単に広まるね」などと書いていることを証拠として提示し、金子被告には明らかに著作権侵害ファイルの蔓延を助長させようとする意志があったと指弾した。

 弁護側はこれに対して、供述調書は警察官や検察官の作文であり、そのような意図は金子被告にはなかったと反論した。金子被告がWinnyを開発したのは、有用なソフトを作成するにための純粋な技術的検証の一環だったと訴えたのである。

 これら争点に対して、京都地裁の氷室真裁判長はどのような判断を下したのだろうか。

 まず第一の争点。氷室裁判長はこの日の判決理由で、「Winnyの技術的内容として認められるものは、以下の通りである」として、

1. PtoPテクノロジを使ったソフトである
2. 個々のパソコンが対等に接続され、ファイルの情報もパソコン同士でやりとりされている(ピュアPtoP)タイプのファイル共有ソフトである
3. ファイルの情報を持ったキーが中継され、一次的な発信者がわからなくなる匿名性を持っている
4. パソコン同士をクラスタリングし、すみやかにファイルが送受信される効率性を持っている
5. 特定のファイルは送受信しない無視機能がある
6. Winny1のファイル共有機能に加え、Winny2には大規模なPtoPのBBSを構築する機能がある

などを挙げた。だが氷室裁判長はこれらの機能を提示しただけで、これら機能にそもそも犯罪性があるのかどうかについては、言及しなかった。つまりWinnyというソフトそのものが犯罪的であるという検察側の主張は、却下したのである。

 しかし第二の争点については、氷室裁判長は次のような趣旨のことを述べた。

 「Winnyは、主犯の二人が著作権侵害ファイルをアップロードするための手段として有形的に容易ならしめたことは、客観的な側面から明らかに見て取れる。しかし弁護人は、WinnyはPtoPソフトとしてさまざまに応用可能な有意義なものであり、それ自体の価値は中立的であると主張している。では、そのWinnyを外部提供したことに違法性があるかどうか、主観的な対応はどうかを考えなければならない。そこで、Winny配布にどのような目的があったのかを、検討したい」(※筆者註:法廷で手書きした取材メモからの転写なので、文言は正確ではない。以下同じ)

 氷室裁判長は、「検察官は、被告がWinnyを公開したのは著作権違反を助長させる目的だったのは供述調書からも明らかだとしている。一方で被告は、著作権違反の助長は目的ではなく技術的検証が目的だった。供述調書は検察官の作文だと反論している。そこで被告の供述の任意性、信憑性を検討したい」と続けた。

 そして金子被告が京都府警に対して書いた申述書や供述調書、弁解録取書などの内容を挙げ、それらが姉や弁護士などとのメールのやりとり、 Winny公開サイトでの発言などと整合性があることを指摘し、「表現に若干の変遷は認められるが」と前置きしながら、金子被告の一連の発言について次のように整理して見せたのである。

 「コンテンツ作成者にどう支払うのかというモデルは矛盾を来していることを感じ、WinMXの利用者が逮捕されたことに違和感を感じていた。そんな時にFreenetの存在を知り、既存の著作権モデルが変わる契機になるのではないかと考えた。ただFreenetはファイル転送の効率が悪いため、匿名性と効率性を兼ね備えたWinnyを開発しようと考えた。Winnyの公開、普及が新しい著作権モデルにつながれば良いと考えた」

 弁護側が一貫して主張してきた「開発は技術的検証のためで、供述調書は検察官の作文」という訴えを、完全に一蹴したのだった。

 ところが判決理由をここまで朗読してきた氷室裁判長は、ここで突然語調を思い切り強めた。そうして、次のように言ったのである。「ただし、Winnyによって著作権侵害の蔓延を積極的に企図したとまでは、認められない」

 おそらくこの判決で最も重要なポイントは、この部分である。氷室裁判長は、「Winnyはさまざまな分野に応用可能で有意義なものであり、技術自体は価値中立的なものである」とも述べ、Winnyの存在意義について理解を示している。その前提に立って、「ファイル共有ソフトが著作権侵害に使われることを知りながら公開し、それによって新しいビジネスモデルが生まれることを考えてWinnyを公開した」と述べた。裁判長はこの「新しいビジネスモデル」という言葉を判決理由の中で何度も使っており、最後の量刑理由の部分でも、こう告げている。

 「Winnyの公開、提供が起こした影響はそうとうに大きく、被告の寄与も決して少ないとは言えない。しかし、被告は著作権侵害が蔓延することを目的としたのではなく、新しいビジネスモデルを生み出させるという目的をもっていた。経済的利益を得ようとしたわけではなく、実際に利益を得たわけでもない。そこで罰金刑とすることとした」

 金子被告が考えていた「新しいビジネスモデル」とは、どのようなものだったのだろうか。彼は逮捕前、Winny配布サイトで「Winny将来展望」と題して、次のように書いている。

 「最近私の方ではコンテンツ流通側とは逆側のコンテンツ提供者側に関するシステムについて考えてることが多いです。そもそも私がファイル共有ソフトに興味を持ったのは、当時ファイル共有ソフト使用ユーザーから逮捕者が出たということ(これは明らかに変だと思った)というのもありましたが、どうやったらコンテンツ作成側にちゃんとお金が集まるのか?ということに、もともと興味があったからです。インターネットの一般への普及の結果、従来のパッケージベースのデジタルコンテンツビジネスモデルはすでに時代遅れであって、インターネットそのものを使用禁止にでもしない限りユーザー間の自由な情報のやりとりを保護する技術の方が最終的に勝利してしまうだろうと前々から思ってました。そしてFreenetを知って、もはやこの流れは止められないだろうと」

 そしてその具体的解決方法のひとつとして、金子被告は「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」を提案していた。それは次のような内容だ。

 ――コンテンツ提供者はデジタル証券サーバからデジタル証券のIDを発行してもらう。コンテンツは利用者が自由にコピーしたり配布したりできるが、その際には必ずコンテンツのデジタル証券IDを表示する。そして素晴らしいコンテンツの作成者に対して支援・投資したり、コンテンツに対して何らかの影響力を及ぼしたいと考えたら、そのデジタル証券を購入して投資することもできる。ユーザーの間で、デジタル証券を売買することもできる。この仕組みによって、クリエーターの側は利益を確保できるし、ユーザーの側はたとえば無名のコンテンツに初期投資して、メジャーになったら証券市場で売却して利益を上げるといったことも可能になる。

 果たしてこの証券システムがうまく稼働するのかどうかはわからないが、しかし金子被告が真面目に著作権システムの今後を考えていたのは間違いなかったように思われる。そしてその将来を実現するためには、ボロボロになっている現行の著作権システムが崩壊しなければならず、そこでWinnyを配布して――と考えたのだった。

 そして氷室裁判長はこの金子被告の思考経路に、明らかに一定の理解を示したのである。

 論告求刑時の記事に書いたように、金子被告のそうした考え方は、現在の著作権法の理念とは著しくかけ離れている。その考え方がいかに倫理的には正しいものだったとしても、現行の著作権法、現行の著作権保護システムを崩壊させようとするのであれば、その行為は法違反とならざるを得ない。つまりは金子被告は字義通りの確信犯だったわけだ。

 その意味で、金子被告が無罪となる道はこの時点ですでに存在していなかったように思われる。みずからの思想に殉じるのであれば、最後までみずからを負わなければならない。いや、そんな倫理性の話でなくても、あちこちで「著作権を崩壊させる」と発言して国家権力に挑戦し、結果的に著作権侵害ファイルを蔓延させている以上、これを無罪とするというのは国家権力の側の判断としてはあり得ないように思われる。

 しかし一方で、裁判長にも突き詰められた問いかけがあった。金子被告のような確信犯をどう裁くのか――単純に外形的事実だけを見て「それは法違反だ」と判断するのか。それともその思想の方向に一定の理解を示すのか。さらにいえば、ソフトウェア開発者を刑に処するという司法的踏み込みを簡単に行ってしまっても良いのか。さまざまな難問がそこには横たわっており、単純に金子被告を断罪すれば済むというものではなかったわけで、そうした難問のバランスを取った結果が、今回の「罰金一五〇万円」という不思議に軽い判決だったのではないかと思うのである。

 この判決には、大いなる自己矛盾もある。氷室裁判長は、情状酌量の理由として「著作権侵害を目的にしたのではなく、新しいビジネスモデルを生み出すためだった」と述べた。しかし金子被告の意図が著作権侵害ではなかったのだとしたら、その行為がなぜ「著作権侵害の幇助」に問われなければならなかったのか? 意図はしていないが、結果的に侵害に利用されれば、それは「幇助」となってしまうのか? このあたりの問題は堂々めぐりの迷宮に入ってしまいそうになる気もするが、こうした自己矛盾がひそかに内在しているあたりにも、今回の判決の何とも言えない微妙さが浮き彫りになっているようであり、そしてこの事件の判断の難しさを体現しているようにも思えるのである。

 最後に自己宣伝になってしまって恐縮なのだが、私はこの裁判のほとんどを傍聴してきた(判決公判のこの日も京都地裁の駐車場に並び、抽選の結果、運良く傍聴券を手にすることができた)。そしてこの裁判の傍聴メモをもとに、Winny事件が社会に突きつけている問題を、12月18日に発売される「ネットv.s.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか」(文春新書)という書籍で追い求めてみた。もし機会があれば、書店で手にとって見ていただければと思う。


 私は常に現在の著作権モデルに違和感を感じていました。それとともに、Winnyというひとつのソフトの存在が、それ自体著作権を害するものでもないのに作成しただけで罰せられる違和感を感じていました。

 今回の記事を読むまで、金子被告はスケープゴートであり、誰かが犠牲にならなくてはならなかったと思っていました。しかし、それは間違いであり、裁判官が裁いたのは被告自身に現在の著作権に関する法体系を崩壊させようとする意図があったかどうかでした。

 さらに裁判官は、金子被告が持つ崩壊後の新しい著作権モデルなど、前向きな姿勢に理解を示したからこそ罰金刑という軽い量刑になったのだと述べています。

 私はそうであれば、今回の判決には非常に納得がいきます。今後著作権モデルは今以上に崩壊していくでしょう。そのときに金子被告のように真摯に考える人が増えてこそ、新しい世界が開かれると思います。

 まあ、そうは言っても金子被告自身が全く悪気はなかったとは私は思っていません。私が思っているのは、少なくともWinnyを作成しただけで犯罪になると言うとんでもない誤解をなんとか晴らしたいだけです。今回の判決は裁判官がそれに理解していましたが、有罪と言うところだけがクローズアップされるのでしょうね。

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2006年12月14日 知的財産権 トラックバック:- コメント:0












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